東大寺は、奈良時代の743年に聖武(しょうむ)天皇の命によって建立されました。
710年、都が藤原京から平城京へ移された直後、政変や皇族間の対立、疫病、さらには自然災害が相次いで発生します。さらに、聖武天皇自身も最愛の息子・基(もとい)皇子をわずか1歳で亡くすという深い悲しみを経験しました。国も人々も不安に包まれる中で、仏教の力によって平和と安定をもたらしたいという願いが強まり、大仏を中心とする国家的な寺院として東大寺の建立を決意したのです。
東大寺の大仏殿は、世界最大級の木造建築として知られており、1952年に国宝に指定されました。
また東大寺は、1998年12月に「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。
これまでに、1180年(鎌倉時代・治承の兵火)、1567年(室町時代・永禄の兵火)の2度にわたって焼失し、その後、1709年(江戸時代・宝永6年)に再建されました。
創建当時の「大仏殿」は横幅が現在より約1.5倍も広かったと伝えられています。

東大寺には、大仏殿のほか、南大門をはじめ多くの国宝建造物が建立されています。
東大寺の正門である南大門には、こちらもまた国宝の南大門金剛力士(仁王)像があります。
門の外から見て、左側に阿形像(あぎょうぞう)、右側に吽形像(うんぎょうぞう)が安置されています。これは、一般的な仁王像の配置とは逆になっており、全国的にも珍しい配置です。
阿形像は口を開けており、「物事の始まり」を表現、吽形像は口を閉じており、「物事の終わり」を表現しています。

大仏殿に安置されている「奈良の大仏」は、日本で最も有名な仏像です。
高さ約15メートル、耳の長さ約2.5メートル、目の幅は1メートル、重さ250トンにもおよぶ巨大な像で、全体は銅で造られた中空構造となっており、世界最大の銅造仏としても広く知られています。
大仏殿の中には、大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が開いた柱があり、その穴をくぐることで、無病息災・祈願成就のご利益を授かると言われています。