プロフィール

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こんにちは、ノ~チンです!

プロフィールを見てくださりありがとうございます(*´-`*)。

わたしのサイト URL https://sekatomo.comは、ブログタイトルの『ノ~チンの世界の友達(せかいのともだち)』の「せか」と「とも」をくっつけたものです。

これは、わたしが世界各地に友達がいることから付けました。
以前のプロフィールには、世界に友達ができるまでについて簡単に書いていました。興味のある方は、以前のプロフィールをご覧くださいね

もともとは、英語について書く予定だったのですが、もっと「ココロ」について書きたいと思うようになったため、これからはココロについて書いていきます。

いま書きたい内容に合わせて、ブログのサブタイトルを『TOEIC985点、英語ペラペラで慶應卒でもうつなわたし』とちょいと自虐的なものに変更しましたヾ(≧▽≦)ノ。また、将来書きたいことが変わるごとにサブタイトルは変えて行きます。

それでは、わたしについて書いていきます。

~現在工事中~ 中途状態でよければお読みください。

わたしと「うつ」

わたしはこのプロフィールを書いている2019年7月現在47歳です。

大学に入学した18歳ごろから「うつ状態」を繰り返し、30代頭と40代前半で重篤な「うつ病」を経験しました。

18歳からなので、「うつ」とはかれこれ30年近いお付き合いになります。

今年2019年の2月に、元々自分が持っていた性質にまるっとOKを出せたことで、人生がとても楽になりました。

そして、いま振り返って、わたしが何度も何度も繰り返し「うつ」になっていた理由を理解しました。その理由は、以下の2つ。

  • わたしの育った家庭がとても精神的に苦しい家庭だった
  • 親や社会から発せられる情報を無自覚に信じていた

 

そんなわたしが、いま思うこと。

それは、大人が「幸せな姿」を子供に見せるってすごく大切で、そしてパワーのあることだ、ということ。

それは、どんなにお金をかけてあげるよりも、どんなスキルを教えてあげるよりも、素敵な贈り物だとわたしは思う。

 

わたしの場合、かれこれ30年寄り道をしてしまったけれど(ながっ(笑))、ありのままの自分に「それでいいんだよ」と言えるようになって、「幸せに生きる」ってそんなに難しいことじゃない、と思う。

苦しい家庭

世の中を見回すと、みなそれぞれ大なり小なり、悩みごとを抱えて生きているように思います。

なので、わたしの家庭が特別に変わっていたかどうかは分かりません。

ただ、わたしや兄たちが成長する中で、子供に精神的な負担がかかる家庭ではありました。

幼少~小学校時代

わたしの母はわたしが幼稚園か小学校低学年のとき、余命1年を宣告されます。

わたしは幼かったため、その記憶はありません。

わたしの父と母は、著しくコミュニケーションの取れない夫婦だったため、どういう訳か、余命1年の母と小学校高学年を筆頭の子供3人を置いて、父がヨーロッパに3年間単身赴任する、という不思議な状況が発生します。

 

そんな訳で、余命宣告を受け、自分が死んだら子供はどうなるんだろう、不安を抱える母と子供3人という家族構成でした。

小学校高学年の兄1は、日々母から「わたしが死んだら兄2とノ~チンをお願いね」と言われていたそうで、学校から帰って、家に入るのがいつも怖かったそうです。

「今日こそお母さんが死んでたら、どうしよう(´;ω;`)」

小学生高学年の男の子には、とても大きな負担だったと思います。

 

このころ、わたしは幼かったからか、あるいは兄1が精神的な苦しさを一気に引き受けてくれていたからか、こんな環境にも関わらず、楽しい子供時代を過ごします。

ただ、小学2年生にして腸潰瘍(基本、子供はならないらしい)になっていたので、ひっ迫した状況を、幼いなりに肌で感じ取っていたのかもしれません。

中学校時代

「頭がよくなりたい」という理由で小学5年から塾に通いだした関係で、中学受験をします。

一番行きたかった男女共学の国公立大学付属中学は通らなかったため、私立の女子校に通うことになります。

「女子校」=「女子しかいない」という事実に入学してから気付くという、アンポンタンぶりで、入学してから数日後、その事実に気が付いたときには、かなりビックリしました。

え、女子校ってマジで女子しかいない学校って意味なんだヽ(゚Д゚;)ノ

男兄弟の中で育ち、小学校では男子との殴り合いを日課にしてた女の子には、男子が学校に1人もいない、というのは信じがたく、気付いたときはなかなかの衝撃でした。

 

中学1年の終わり、5歳違いの兄1が大学受験に失敗します。

このころから、それまで母のケアを担っていた兄1の負担が、一気にわたしに移ってきます。

母の愚痴のごみ箱(●..●)

と堕ちていくあたし(*ノД`*)。

 

このころから、どうやったら幸せに生きられるか、といった類の心理本や自己啓発本をよく読むようになりました。

どうやったら、母親が幸せになれるのだろう、そう思って読んでいました。

いま思えば、不幸な母親を持ちながらどうやったら自分が幸せに生きられるか、という視点で読んでいれば、本を読んで得た知識をもっと有効に使えたかもしれない、と思います。

 

中学2年ごろから、私立のお嬢様学校と自分の相性の悪さも顕著になり、地元の公立中学に移りたくなりますが、それは叶わず。

おそらく、兄が大学受験に失敗したことから、私立の進学校に通っていれば、わたしは大学受験に失敗しないだろう、というその先5年の大学受験を想定した上で、当時中学2年生だったわたしの気持ちが無視されたのだと思います。

中学3年生のとき、国公立の高校受験を目指しましたが、なぜか受験すらしませんでした。

自分の意思がそれほど強くなかったせいもあるのですが、中学3年のときには学年主任との相性が悪く、そばばぁ女性教諭から「別の高校を受けろ」と促され「受験に失敗したら、その学校には戻って来れない」という母の考えもあり、受験を阻止されたのだと思います。

5年先に、行くか行かないかも分からない大学の合格率といま現在のわたしの楽しさを天秤にかけたとき、

数年先の大学受験の合格率 > 現在のわたしの楽しさ

と判断されたことは、とても残念なことだったと思います。

中学2年ころから「わたし自身の気持ちは重要ではない」というメッセージを受け続けた結果、自分が何を大切と思うのか、自分は何が好きなのか、そんな簡単なことが分からなくなってしまいました。

いや~、調子のよいときも年単位でありつつではあれ、うつ歴約30年はあまりに長かろう、と思うのですが、要は根本的な問題が解決してなかったんだから、そりゃ再発もするわよね、といまは思います。

いま現在、受けたかったセミナー受講をきっかけに、今年の2月から服薬を止めています。

主治医の先生からは「わたしは服薬を進めるし、止めた際の責任は持てません」と言われました。「すぐにではないと思うが、これまでの経緯を見ると、数年後にまたうつになる可能性が高い」とも言われました。

ですが、わたしは、おそらく再発はしないと思っています。もしかするとなるかもしれないですけどね。ただ、いまはなってもまた治るからいいや、と思っています。

今回と以前に寛解したときとでは、自分の中で1つ決定的な違いがあります。

 

■■ここから■■自分自身の「月~金曜日、会社勤めをすることがとてつもなく嫌で苦手」という性質に、いまは「それでOK」「まったく問題ないし」と思っていることです。

いまは、何よりも「自分の気持ちが一番大切」と思っています。そして、この基準を大切に生きていれば、生きるのはとても楽しく、楽なものです。

クズに見えてもいい。自分が幸せなら。と思っています。

といことで、いまはクズでも幸せ、を目指して色々試しながら、日々 自分の感覚を大切に生きています。

※ あ、とり立てて、クズを目指している訳ではございませんのであしからず。ただ、「立派」とか「すごい」とか「普通に見える」とかそういうあいまいな他人の基準を元に生きるのは、止めた、と言うことです(ーω・)b

 

現在、21歳になる姪は、この春短大を卒業しました。

「Mは、14年間の学校生活、ずっと楽しかった!楽し過ぎた!!」と卒業のとき言っているのを聞いて、

マジか!!!そんな人間いるんだな!おいっ!!!

と衝撃を受けました。姪っ子の楽しかった小学校~短大時代をとても嬉しく思うと共に、そのときの自分が楽しいと思える選択をすることの大切さを再認識しました。

わたしは、中学以降、学校は楽しくなったので(;´▽`A“。大学時代なんて、4年中秋~冬にかけて3回うつになってますし。当時は「うつ」自体が認知されていなかったので、本当に苦しかった。

学校が楽しくない割りに、登校拒否にならなかったのは、ひとえに友達に恵まれていたからだ、と最近気が付きました。

人の引きはとてもいいんです、わたし(´ー`*) 。

大学時代

さて、そんな訳で末っ子のわたしが大学に入学し、

家族構成など

チチロー ノ~チンチチ。
元大企業勤務の楽天家。楽しいこと大好きで、周りに大変なことが起こっていてもなぜか気付かなかったりする。
女房のチコちゃんとは、色んな感覚が違うため、長年の結婚生活でかなりの恨みを買っている。このため、チコちゃんのチチローへの沸点は他の家族に比べて著しく低い。
長年の反省を込めて、チコちゃんが好きなことをできるよう絶賛応援中だが、気持ちが通じるにはまだ時間を要する模様。
最近、チコちゃんの心の氷が少しずつ溶けている気配あり。ガンバレ、チチロー(○´∀`)ノ
チコちゃん ノ~チンママ。
社会でバリバリ働きたかったのに、なぜか結婚後ほぼ専業主婦だったチコちゃん。
子育て中はやりたいことを我慢していた傾向が強く、その影響でチコちゃんの想いとは裏腹に、3人の子供がかなり精神的な苦痛を感じながら育つことに。一時期はかなりの毒親ぶりを発揮 ∑(゜ロ゜ノ)ノ
細かいことに気が付く優しい面もあるが、言葉に出して気持ちを伝えるのが苦手。早口で頭の回転はかなりよい模様。
最近膝に痛みを感じ始めたものの、好きな趣味のために「絶対、治したんねん( ̄ー ̄☆キラリン!」と豪語する70代後半。
気持ちでは、まだまだ若い者には負けていないぜ。
兄1 ノ~チンの5歳年上の兄。
子供のころは「お兄ちゃんはなんでも出来て、スーパーマンみたい(*ˊᵕˋ*)♡」と誤解していた。子供のころの5歳差は大きいのである。
思い返せば、「スーパーマン」でない証拠はたくさんあったのだが、わたしの記憶の中で都合が悪かったのか、つい最近までそれらの証拠は封印されていた。
証拠1:兄が5年生のとき、2学年下の兄2の同級生に「野球に入れてもらえなかった」とベソをかいて帰ってきた。
証拠2:わたしが小学4年生のとき、兄2の同級生とケンカして泣かされたことを後で知った兄1は、「お兄ちゃんに言ったら、津田くんに言ってやったのに、と言っていた。
※「津田くん」=兄1の学年の番長
↑ 大人になって、この話を兄1に伝えると「2コ下なのに、自分で行かずに津田くんの名前を出すってどんだけヘタレなん、俺」と言っていたヾ(≧▽≦)ノ。
娘が生まれ、アダルトチルドレンによく起こるという「うつ」それもかなりヘビーなやつを経験。
嫁と娘の3人家族。なかよし家族である。
兄2 ノ~チンの3歳年上の兄。
兄弟の中では一番無口。小学校のころから生きづらさを感じていたらしく、20歳くらいで自分は死ぬと思っていたらしい。
小学生時代、年間を通して半そで&半ズボンという、当時小学生の間で流行っていた謎の我慢大会の「先駆者」的存在だった。かくいうわたしも半そで&スカートで通した年があった。子供でも冬に半そで&半ズボンは寒いんだぜ。
ノ~チン このブログを書いている本人。3人兄弟の末っ子。
女の子が欲しかったチコちゃんにとって、3人目にしてやっと授かった待望の女の子。が、女の子らしさの薄さは天下一品。スカートは年に2回履くかどうか。定番スタイルはTシャツにジーンズです(`・ω・´)キリッツ
ただし、見た目は普通に女の子(という年ではすでにないがヾ(≧▽≦)ノ)に見えるタイプである。
大学時代、やれ「大人しそう」だ、「見た目とギャッブが激しい」と言われまくり、自分の身の振り方を迷った記憶あり。
「深窓のご令嬢」と言われたこともあるよ。そりゃ、あんた、大した誤解だよ(爆)。
男兄弟の中で育ったためか、小学校のころはケンカが強く、またケンカをコミュニケーションと思っていたので、殴り合いのケンカが日課だった。小学校のときに好きになった男子3人は全員泣かした過去を持つという、悲しい女子でもある( ;∀;)
総じて人懐っこい性格で、人見知りはほぼゼロ。ただし、うつになると「人と会うこと」自体怖くなる。
2019年2月中旬に、過去の色んなできごとがつながり、自分自身を理解したため、今後は90%うつにならないと思っている。もしかしたら自分で把握できていないナニカがあるかもしれない、ということで10%ののりしろを残している。
ノ~チン彼 ノ~チンの彼。
身長180cm、優しくて力持ち。
図らずも、楽天家、楽しいこと好き、周りの大変なことに気が付きにくい、などチチローと似た性質を持っている。
大柄で長髪なため、ミュージシャンやプロレスラーに間違えられるが、本当はサラリーマンヾ(≧▽≦)ノ。
彼と一緒にいると、小学生のときのように楽しく笑える自分が好き♡。
小さなことにこだわらず、周囲のことに無頓着なのに、ノ~チンの不調はなぜか敏感に察知できるエスパー。
現実でそこそこ大変なことが起こっていても、ハッピーでいられる不思議なテクも習得している。人のよい面を見るのが得意。
英語がしゃべれないのに、”Oh~, yes!”のみで、外人とどんどん友達になれるという特殊能力も持ってる。しまいには、友達になった外人まで”Oh~, yes!”と言いだす伝染力。お父さんが通訳者だったため、子供のころに外国人が家を出入りしていたらしい。その影響で、外国人に対する心理的壁がまったくないからだと推察される。人口の98%が日本人という単一民族国家の日本では、かなりの珍種と思われる愛すべき♂。

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