「子育て」で大切なこと

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こんにちは、ノ~チン(@NozomiJapanese)です!

わたしには、姪っ子が1人います。

わたしは叔母なので、子育ての大変な部分はすっ飛ばして、可愛がるだけのいいとこどりですが、兄夫婦や子供のいる友達を見ていると、大変なことはあっても、子供って本当に可愛いんだろう、と思います。

そんな訳で、子供としての経験しかないわたしが、「子供の視点」から、子育てで大切だと思うことをお話しします。

幸せな後ろ姿を見せる

わたしが子育てをする上で一番大切だと思うことは、幸せな後ろ姿を見せる

これにつきると思います。

 

今日日色んなノウハウが溢れてます。

ダイエットしかり、お金儲けしかり。子育てに関する情報だってそう。

ネットでキーワードを入れて ちょちょいと検索したら、興味のある分野の「〇〇したらこんなことできた」って情報がたくさん出てきます。

そして「こんなんできた」と言ってる人が、自分のなりたい姿に近ければ「どうやったの?」って興味を持ちます。

 

例えば「節約術」を例に取ってみます。

わたしはこうやって100万円貯めた、という人が2人いました。

Aさんは、ニコニコ楽しそう。

Bさんは、ギスギス不機嫌そう。

どっちの話を聞きたいと思いますか?

 

わたしは楽しそうなAさんの話を聞きたいと思います。

「節約って面倒そうやけど、100万円貯まったんや。そんでもって、そんな悲痛な感じしてないのは、なんでなん?」みたいに思います。

逆に、ギスギス機嫌が悪そうな人を見たら、「やっぱ節約って、大変なんやね!100万円は魅力やけど、あたしには多分ムリやわ!」と思うと思います。

幸せそうだったり、楽しそうな人、力がいい具合に抜けた人の言うことに、わたしは説得力を感じます。

 

人って何かを目指しているとき、確かに「何か」を目指してはいるんだけど、その「何か」に付随する「別の何か」も求めていると思うんです。

そして、その「別の何か」は多くの場合、「幸せ」な気がします。

「お金」もそう、「健康」もそう。

「お金」も「健康」も それ自体、確かに大切で魅力的なんだけど、それを求める理由は、「やりたいことができる」だったり、「大切な誰かと楽しい時間を共有できる」だったり、しませんか?

自分にとっての幸せは何か?

さて、上で述べた「幸せな後ろ姿を見せる」上で重要になってくるのが、「自分にとっての幸せが何か」を知ることです。

わたしたちは成長過程で、大なり小なり時代や家庭環境の影響を受けます。

みんながみんな自分の思う通り、すくすくと自分の才能を伸ばして大人になる訳ではありません。

むしろ、自分の思うようにやりたいことをやり、思うように成長してきた、と感じる人の方が稀な気がします。

少なくとも、わたしは自分の気持ちを尊重され、すくすくと育って来てはいません。

自分の親が、子供である自分の意思や気持ちを尊重して育ててくれた場合、きっと特に意識することなく、子供の気持ちを大切に育むことができると思います。

でも、多くの人たちは、子供であった自分の意思や気持ちより、親の意思や好みによって色んな選択をされ、大人になったころには、一体自分は何が好きで何が嫌いなのか?自分がどんな生き方をしたいのか?、あいまいになってしまう人が多いように思います。

 

少し前に読んだ本に、とても印象的な言葉がありました。

「人はみな違う。まったく同じ人間はこの世に2人必要ないのだから(神様がまったく同じ人間を2人作るはずがない)。」

だから、この世に2人といないかけがえのない自分にとって、何が大切なのか?

「自分」は何を大切に生きていきたいのか、それを「自分が」知ることはとても大事なことです。

あなたは誰の話を聞きたいと思う?

わたしは中学・高校をカトリックの進学校で過ごしました。

中学2年くらいから校風の合わなさを強く感じ、高校の1年間、アメリカに逃亡したくらい(留学したんよね)、学校が合いませんでした。

これまで、その学校を知っている地元人に「わたし〇〇学校出身」というと、ことごとく「イメージじゃない」と言われます。

つまり、自他とも認める「合わない」学校に、5年間も通ったという悲しい事実。あ~、可哀そう(つД`)。

 

その学校では「心を清くし、愛の人であれ」という教えがありました。

「愛の人であれ」という言葉自体に共感を覚えつつも、その言葉を発する先生を見て「この人、絶対『愛の人』ちゃうよなぁ」と思っていました。

大人になったいま振り返ると、志を持って修道女になったのに、結果を求められる進学校の教師なんかになってしまい、先生自体 自己矛盾を抱えてたんかなぁ?と思ったりもします。

 

いま思い返すと、仲のよい先生や校風に合ってないわたしの個性を温かく見守ってくれていた先生もいたのですが、一方わたしをめちゃめちゃ嫌っていた先生もいた!

そして、そいつが学年主任だったりしたので、わたしのゆゆしき言動&行動(=わたしからすると、大したことないこと)が直接話したことのない校長とかまで口コミで広がっていたっぽいヾ(≧▽≦)ノ。

 

そんな訳で、わたしは「先生」というだけで偉そうにする人間は「バカなんだね」と思っていたし、むしろ「長く生きてても、クソはクソだな。」と軽蔑していましたヾ(≧▽≦)ノ。

そんな訳で、そういう人間の言うことは、はなっから話を聞く姿勢がなかったように思います。

偉そうにしたい人間に、そういう態度取ると、めちゃめちゃ逆効果よ。ノ~チンのおバカさん(*´艸`) ♡。

 

一方、わたしは大学のとき、1人の警備員さんととても仲がよかった。

卒業後、年賀状のやり取りをするくらい仲よしだった。

その人は、いつも、登下校する学生に にこやかに挨拶をしてくれた。

大学時代、何度も「うつ状態」を経験していたわたしに「今日は元気がないみたいだけど、大丈夫?」みたいなピンポイントの声かけをしてくれた人だった。

先輩にもらったスクーターを学内でノーヘルで乗り回してたとき「ノ~チンさん、危ないよ( ̄0 ̄; )」と声をかけてもくれた。

わたしはその人が「事故を起こしたときに、ケガをするわたしが心配」で言っていることが分かったから、「うるさいなぁ、もう」とは思わず、「〇〇さん、ありがとう」って思った。

要は、わたしはこの警備員さんのことを人間として信頼していた

 

この人は、年上だから偉そうにしたい、とか誰かからいいように思われたいからとかじゃない。わたしのことを大切と思ってくれてるから、注意してくれたんだ、と分かった。

相手を大切に思っているか、相手を思うようにコントロールしようとしてるか、自分をよく見せるためか、そういう根本的なことって、透けて見える。

人から信頼される人は、この「大切に思っている」という部分を、きちんと相手に伝えられている人だと思う。

わたしの場合は、わたし自身をきちんと見てくれていると感じられたり、わたしの気持ちを無視しない、と感じる人に信頼を感じる。

まとめ

子供の育てる上で大切なのは、まず親である自分が、世間の基準ではなく自分にとって、何が大切なのかを知り、それに従って、幸せに生きる姿を見せることだと思う。

そして、信頼に足る人間でいること。

人から信頼を得るには、色んな方法があると思うけれど、肝は「大切に思っている」ということを、相手が理解できる形で伝えることだと思う。

独りよがりの「あなたのため」ではなく、「その子」の「大切」を知ろうとすることだと思う。

 

人間、生きていれば、腹が立つことや悲しいできごとにも遭遇する。

生まれてくれば必ず死ぬ訳で、「大切な人を亡くす」なんて状況は、ある程度の年月生きていれば、必ず遭遇する。

そんな悲しいこと、嫌なことを避けられない人生でも、どんなことが起こっても、自分自身が幸せを感じられるように、自分に優しく、自分に正直に生きることが大切、とわたしは思う。

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プロフィール

このブログを書いているノ~チンです。

『慶應大学卒、TOEIC985点で英語ペラペラ』という一見ハイスペックな特性を持ちながら、19歳から度重なる「うつ」を経験していました。

46歳だった2019年2月に、これまでどうして「うつ」を繰り返し発症していたのかを理解し、これからは好きなように生きていくぜ~、ひゃっほ~~ぅ(〃∇〃)b!と心に誓いました。

中2から46歳までの人生が、つまらなさ過ぎたので(←長っ)、これからは楽しいことしかいたしませんっヾ(≧▽≦)ノ!

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【カテゴリーについて】
カラダ&システマ」では、最近興味を持っているカラダやロシアの武術システマについて、「アレコレ&人間ウォッチ」では、わたしが日々の生活で感じたことを、書いています。

以前は、英語に関するブログを書いていたので、興味のある人は「外国語&英語」もどうぞ。

詳しいプロフィールは「こちら」をご覧ください。

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