こんにちは、ノ~チン(@NozomiJapanese)です!
3日前の母の日に書き出したこの記事ですが、なかなか書き終わらずにアップに時間がかかってしまいました。
母の日は、近所の気になっていたケーキ屋さんでゴージャスなショートケーキを買って家族で食べました٩(ˊᗜˋ*)و ♪
母には、母の日用に用意されていたカーネーションの乗っているショートケーキを、 父、兄、わたしは、見た目の似ているカーネーションなしのケーキにしました。美味しかった(*´∀`*)♡。
目次
嫁姑問題:我が家の場合
さて、先日の夕飯時、母と面白い話になりました。
それは我が家が昔 抱えていた嫁姑問題ヾ(≧▽≦)ノ。
祖母はいまは亡くなっていますが、我が家はこの嫁姑問題で、嫁である母にストレスがかかり、その影響で子供であるわたしたち兄弟にも、生育期に多大なストレスがかかっていました。
母について
さて、嫁姑問題を語る前に、わたしの母について少しお話ししておきましょう。
わたしの母は祖母(母の母)が大好きでした。母方の祖母は、母が結婚する前に亡くなっているので、わたしは会ったことがないのですが、母の祖母に対する愛情は、話の端々に伝わってきます。
母の育った家庭は、子供たちが幼いころに祖父(母の父)が病気で身体を悪くしたため、祖母が家計を担っていました。嫁ぎ先がお寺だったため、祖母は、家事に加え、お寺の仕事を切り盛りし、そして家計を支えるために茶道を教えていました。
戦中戦後の物のないときには、嫁入り道具の着物や家具を売ってお金にしていたこともあったそうです。
家族の中で一番早く起き、そして誰よりも遅くまで起きて働いていた祖母に対し、母は自分が大人になったら祖母に楽をさせる!と思いながら、大人になりました。
4人兄姉妹の末っ子だった母は、姉たちが結婚した後、自分が祖母の面倒をみよう。自分が稼いだお金で祖母に好きなことをさせよう、と心に決めていたそうです。そのため、結婚する予定はまったくなかったそうです。
祖母は、楽しそうに茶道を教えていたようでしたが、「趣味でお茶をできたらどんなに楽しいでしょう」と口にしたことがあったそうです。傍から聞くと、何と言うことのない言葉ですが、母にとっては衝撃的な言葉だったようです。
たった一度の祖母のその言葉を、子供のわたしに話すくらいですからね。
それ以降、母は「自分が大人になったら、わたしがお母さんが趣味でお茶をできるようにする。お母さんのために立派な茶室を建てて、お母さんが楽しむためだけにお茶をし、楽しいことだけをできるようにわたしがしてみせる!」と思っていたようでした。
そんな訳で、母は短大を卒業後、民間企業で働き始めるのですが、男女雇用機会均等法が施行される25年も前の世の中で、男女の給料差のない企業に就職し、秘書職に就いていたため、同世代の男性の3倍のお給料をもらっていたそうです。
母の祖母に対する愛情が、女性が多くのお金を稼ぐのは難しい時代の下でも、一般的な男性よりも収入を得る現実をたぐり寄せていたのだと思います。
祖母の病気、そして死
社会人になった母は、たくさんお金を稼ぎ、貯金もたくさんしていました。
「お母さんに楽をさせて喜ばせたい」という具体的な目標があったので、頑張れたのだと思います。
しかし、母が社会人になって数年後、祖母はガンになり亡くなってしまいます。
祖母と暮らし、祖母を喜ばせて生きて行くつもりだった母は目標を失いますが、高校時代の同級生だった父と結婚することになります。
母は父方の祖母のお気に入りだった
成績優秀で聡明だったらしい母は、父方の母(祖母)から気に入られていました。
「奥さんにするならああいう子がいい」というようなことを祖母は言っていたようで、元々 母は祖母オススメの結婚相手でした。
義理家族との関係は夫婦に影響するのか?
わたしは20代で結婚、離婚を経験しているのですが、相手の家族とわたしの関係、自分の家族と夫との関係は、自分たち夫婦の関係にも少なからず影響する、と思っていました。
これは、わたしの母が父方の祖母から嫌がらせを受けていたことと、父と母がうまくいっていなかったことを結び付けて考えていたからでした。
つまり、父と母がうまくいっていなかったのは、少なからず父方の祖母の意地悪が関係している、と長い間信じていた、ということです。
いまは、祖母からの意地悪と父と母の関係がうまくいっていなかったことは、別問題だと思っています。
義理の両親との関係の善し悪しが、夫婦の関係に悪影響を与えることはもちろんあると思います。実際に、うちの家族の場合も、影響を受けていました。ただ、それは原因ではなく、そもそも根幹の夫婦の関係がしっかりしていないから影響を受けていたといまは思っています。
祖母自身が抱えていた問題
母に数々の嫌がらせをしていた祖母ですが、実は祖母自身が長い間祖父との関係で問題を抱えていました。
詳しい経緯は知らないのですが、祖父は祖母と結婚した後に、別の女性と付き合っていたことがあったようです。詳細は不明ですが、あまり幸せな状況になかった女性で、同情なのか、助けてあげたいと思ったのか、よくは分かりませんが、そういう経緯で親しくなったようでした。
そのことで、祖母は長い間とても強い怒りと悲しみを感じていたようでした。
ただ、当の祖父にその話をしても、「苔が生えたような話を」と済んだ話として取り扱われてしまい、その気持ちを吐き出し、受け止めてもらうことはできなかったようでした。
何かをした方は済んだ話と思い、された方は長きにわたりそのことを引きずってしまう、というのはよくあることだと思います。
自分が不幸なとき
世の中を見ていて思うのは、自分自身が不幸な状況にいるとき「他人の幸せが許せない」人がいるということです。
自分の幸せや不幸は、他人の幸せや不幸とは別問題だとわたしは思っています。
なぜなら「幸せ」や「不幸せ」は心で感じるものなので、傍から見れば何もかもが揃っていて幸せそうに見える状態でも、本人は「不幸」と感じることもあるし、その逆に、傍から見れば大変そうで不幸に見える状態でも、本人は「幸せ」と感じている場合もあります。
祖母は、残念なことですが、自分が不幸なときに人の幸せが許せない、自分の不幸を他人に分けなければ気が済まないタイプの人だったのだと思います。
祖母からの嫌がらせ
先日の話を元に、母が祖母から受けていた嫌がらせを少しリストアップしてみます。
他にも色々ありますが、どれほどたくさんあったか、を伝えるのが目的ではないので、先日の夜に出てきた話からリストアップします。
出産後
母はわたしを含め3人の子供を産んでいます。母は結婚前に両親を亡くしていたので、お産の後は3回とも父方の祖母が家に来てくれました。
う~ん・・・、これだけ聞くとめっちゃいい話やなヾ(≧▽≦)ノ。
祖母はちなみに7人産んでいるのですが、祖母にとってお産は「ウンチをするようだった」そうです(゚∀゚)。人によってお産の軽さや重さって様々なようですが、祖母は7人産んで7人とも安産、というスーパー安産ウーマンだったんですね。
一方母は1人目の兄を産んだとき、医師から「絶対安静」を言い渡されていました。
兄の出産後、祖母がやってくるのですが、世話をしに来たはずの祖母は昼食後夕方の5時まで寝るのが日課だったそう。あら、あらあらあらwwww。
そして、医師から「絶対安静」を言い渡されていたのですが、素人であるはずの祖母は父にこう言っていたそう。
「お産は病気じゃないから、産後は動いた方が肥立ちがよい」と。
父が医師の「絶対安静」のアドバイスを認識していたのかは不明なのですが、父は遊びに来ていた手伝いに来ていた祖母に「昼寝を取るように」言っていたそう。
お~~~~~い、何のために母親呼んだんや、アンタ!!
そんな訳で、医師から「絶対安静」と言われていた母が家事のほとんどをこなし(祖母も多少はしていたとは思いますけど)、休日には、ともすればあてにしたい夫が、世話をしに来たはずの祖母を「観光」に連れて出かける、という
全然 意味ね~じゃん!
状態が作り出されていましたヾ(≧▽≦)ノ。
子育て中
父は、わたしが小学校1~4年生だったころ約3年間、ヨーロッパに単身赴任をしていました。
このころ、母は体調を壊していた時期があり、また父が異国で単身赴任ということもあり、祖母は父が浮気をすることを強く願っていたようでした (ノ*゚▽゚)ノ。
定期的に帰国していた父は、わたしたちの家に戻る前に、実家に寄っていました。
ヨーロッパ滞在中、接待と称して女性をあてがわれることがあったそうです。これ、ちょっとどういう状態なのか分からないのですが、セックスできるように売春婦を用意されるということなのかな?詳細は不明ですが、そういったことがあったようです。
そして、その話を実家に戻った父は両親である祖父母にしていたそうです。「接待で女性をあてがわれたけど、僕は浮気はしなかった。」とヾ(≧▽≦)ノ。
父はまったく悪気がなかったと思うのですが(なぜか他の兄弟も、嫁である母も知っているのに、父は祖父の浮気の話を知らないんですよね)、「浮気」は父の実家ではタブーヾ(≧▽≦)ノ!「接待で女性をあてがわれたけど、浮気しなかった」トークを祖父と祖母がどういう気持ちで聞いていたのか、いまとなっては確かめようがありませんが、祖母は間違いなく不快だったようです。
そんな訳で、父が我が家に戻ってくると、祖母から母に電話がかかってくるのです。
そして「(あんたは)役にも立たないのに、浮気をしなくて口惜しい!」と母に言ってくる祖母。
※ 役にも立たない=身体を悪くして、夫とセックスできない
う~~~ん、ブラック(▽∀▽メ)。祖母も相当気持ちに余裕がなかったのでしょうね。
こんな風に他人の不幸を願ってしまう状態にいるのは、気の毒ではありますが、自分が不幸だからと言ってこういうことを他人にしてよい訳もなく、同情はできませんが。
父について
ここで、わたしの父について少しお話しします。
父は第二次世界大戦中の1940年、貧しい家の長男として生を受けます。
祖父の父は祖父が小学生のとき、突然蒸発します。
そのため、祖父は小学校を出てすぐに働き始めます。学力優秀で、小学校の先生からは進学を薦められたそうですが、父親不在となり働き手が必要だった家庭で、長子だった祖父は大黒柱となるべく、働くことになります。
祖父の時代は、いまに比べて学歴と収入が直結する時代だったと思いますので、小学校卒の学歴の祖父がどのようにお金を工面したかは不明ですが、祖父は2人の弟と7人の子供を全員大学に行かせています。
祖父自身、優秀だったのに学歴がなくて悔しい思いをしたことがあったのではないかと推察されるので、それが、弟や子供たちを大学に行かせる原動力になっていたのではないかと思います。
近所で他に大学に行った子はいなかった、と父が言っていたことがありました。
そんな環境だったため、貧しい中、自分たち兄弟を全員大学に進学させてくれた祖父母に父はとても感謝をしていました。両親に感謝の気持ちを伝え、楽をさせたい、という気持ちが強くあったようです。
父を見ていて思うのですが、父は自分よりも上の立場の人に対し、とても従順です。上の人が言うことに対し、疑問を持つことが少ないため、自分の両親の言うことに対しても疑問に思ったり、反論することなく、素直にその言葉を信じる人だったと想像します。
母の言うこと vs. 祖母の言うこと
上記に書いたように、「上の人の言うことを素直に信じる」という性質に加え、「自分たち兄弟を育ててくれた祖父母に多大な謝意を感じていた」父。
このため、母が祖母からの嫌がらせを訴えても、父には受け入れにくい素地がありました。
そもそも、自分の母親が誰かに意地悪をする、ってこと自体、母親との関係がよい人間にとっては気持ちのよいことではないですもんね。
そんな訳で、我が家ではこんな構図が生じていました。
母が祖母にされたことを父に訴える → 父は信じず + 母が嘘を言ったと怒り出す
いまね、この記事を書いていて気が付いたのですが、母が出産した後に、父が祖母を呼んでいたのは、「母」に楽をさせるためではなかったんですね。父は、「妻の面倒を見て欲しい」という口実のもとに、「祖母」に楽しい思いをさせるために、祖母を呼んでいたんですね、きっと。
わたしの推察が正しかった場合ですが、祖母に感謝を伝えるのが目的だったなら、出産後「母のケア」が必要だったときではなく、「祖母への感謝」に専念できる状況で、祖母には感謝を伝えるべきでしたね。
発想の転換
母は当時「父に祖母からの嫌がらせを訴える」も「父からは信じてもらえず」→「夫婦関係の悪化」というパターンを繰り返していました。
これまで母と祖母の話をしていて、今回、初めて「祖母の視点」という話が出てきました。
母に嫌がらせをしていたのは、祖母がそもそも祖父との関係で不幸で、誰かに意地悪をしたい、誰かに自分が経験した「夫に浮気をされて悲しく、苦しい心情」を理解させたい、自分の苦しみを分かってもらうために、同じ経験をさせたい、という状態にあったのだろう、ということでした。
いま、図らずも母との話には出てこなかった「自分の苦しみを分かってもらうために」という文章を書いてしまいました( ゚д゚)!
そっか!!!祖母は「意地悪をしたかった」というよりは「自分の苦しみを分かって欲しかった」のかもしれませんね(´;
母が繰り返しトライしていたこと
当時、母も母なりに状況を変えるために、色々なことをしていたと思います。
母のやっていたことは、「祖母からの嫌がらせをストップさせる」ために「祖母が嫌がらせをしている事実を父に分からせる」でした。
そして、こんな状態になっていました。
- 祖母の嫌がらせを父に訴える → 信じてもらえない → 悲しい思いをする
- 祖母の嫌がらせを父に訴える → 信じてもらえない → 腹が立つ
- 祖母の嫌がらせを父に訴える → 信じてもらえない → 自分が我慢しなければいけないのかと思う
- 祖母の嫌がらせを父に訴える → 信じてもらえない → 我慢する(嫌なのに祖母からの電話に出る)
- 祖母の嫌がらせを父に訴える → 信じてもらえない → 我慢する(嫌なのに家族と一緒に会いに行く)
- 祖母の嫌がらせを父に訴える → 信じてもらえない → 我慢する(その他諸々)
- 祖母の嫌がらせを父に訴える → 信じてもらえない → 我慢する(その他諸々)
要は、最初の「祖母からの嫌がらせを父に訴える」→「失敗」の部分は変わっていませんでした。
母ができたこと1
今回母と話していて、わたしが言ったのが「お母さんは、お父さんに何かをさせようとしてたけど、お母さんができたこともあったよね」って話でした。
うちの家族の間では、以下のことが繰り返されていました。
父が「俺浮気してないねん(偉いでしょ?)」トークを実家でかます
↓
祖母の浮気された問題が再燃 + 怒りの感情が湧き上がる(›´ω`‹ )
↓
やりきれない思いを母に電話でぶつける
↓
母が途方に暮れる
わたしが今回母に言ったのは、「お母さんが、当時お祖母ちゃんにもし『あなたの息子、本当は浮気をしてるんです!』と泣いて訴えてみてたら、お母さんとお祖母ちゃんの関係性が変わってかもしれないよ」ってことでした。
そしたら、お祖母ちゃんにとって「仲間」ができて、もしかしたら
「なんて可哀想なの(同情)」→ 2人がなかよしに
ってことになってたかもしれないし(母が祖母と仲よくなりたかったかは別としてね(*ゝ∀・
「お前がクソ嫁だから、うちの息子が浮気するんだ!ざま~みろ!」→ やっぱり仲はよくならず
ってなってかもしれなくて、そこは分からないんだけど、何か変わってたかもしれないよね、と話しました。
母ができたこと2
わたしがそんな話をしたあと、母が面白いことを言ってきました。
「『あんたの息子、実は浮気してます。殺してやろうと思います。』って言ってやればよかった。」とヾ(≧▽≦)ノ!!
「面白い!!!それ、絶対、お祖母ちゃんとの関係性変わってたと思うわ!」ということで、その後は
「『あんたの息子も浮気しています。許せません。お義父さんとあなたの息子に生命保険かけて、2人を殺しましょう。』とお祖母ちゃんに提案するのはどう?」「そんなん言ったら、絶対お祖母ちゃん、ビビってたよねヾ(≧▽≦)ノ」と盛り上がり、なんと祖母の話をしながら爆笑する、という自体が起こりました。
これね、これまでの我が家ではありえなかったことですYO( ・ㅂ・)و!!
ここ数年は祖母の話が話題にのぼること自体なかったですけど、かつては
母が祖母の愚痴をこぼす
↓
わたしはもう聞きたくない
↓
でも無理やり聞いたり、聞かなかったり
↓
双方疲れるチ───(´・д・`)───ン
ってのがパターンだったんですよね。
なので、祖母の話をして爆笑というのは、めちゃめちゃ新鮮な体験でした(*´∀`*)イイネ♬。
その意地悪は「あなた」への攻撃ではないのかも
少し話はそれますが、母方の祖母は、義理の家族と同居をしていました。そして、姑から様々な嫌がらせを受けていたそうです。
祖母は姑に逆らうことなく、また嫌がらせをされても怒るでもなく、悲しむでもなく、変わらず丁寧に姑に対応していたそうです。姑が亡くなる際、意地悪をしていたその姑からお礼を言われる、というミラクルを起こした人でした。
話を聞く限り、とても優しい人だったのだと思います。
時代背景も大いに影響していると思うのですが、そんな祖母を見て育った母は「姑に逆らう」という考えがありませんでした。そのことが、うちの嫁姑問題を助長させていた一因のように思います。
昭和40年代に生まれたわたしには、「姑に逆らわない」という従順な思考がないため(きっと親を見ていて、「逆らわない」ことが正解ではないと思っていなかったこともあると思います)、仮に姑から何かされたとしても、黙認することはないと思います。そうすると、嫁姑の関係性も母が体験していたものとは違うものになると思います。
そんなわたしは、結婚していたとき、偶然か必然なのか、義理の家族ととても良好な関係でした。義理の母、つまりわたしにとっての姑は、わたしが結婚する1~2年前に義理の父と結婚したばかりでした。そのため、わたしと姑の関係は、嫁姑というよりは、嫁いできたばかりの「新人同士」のような関係でした。義理の家族の家に行っても、わたしは家事を手伝うこともなく「お客さま」状態(笑)。
わたくし、できない訳ではないのですが、家事がめっぽう嫌いでして、なぜかこれまで付き合ったお相手からことごとく家事をすることを多く求められないラッキーガールなんです。ウレチイ(*´∀`*)♡。
今回、この記事を書いていて、祖母が祖父の浮気を知り、とても悲しかった。そして、その悲しさをずっと引きずっていたのだろうことに奇しくも気付くことができました。これは、この記事を書き始めたときにはまったく予想していなかったことだったので、そのことに気が付けたこと、とてもよかったと思います。
祖母の悲しみに思い至ることができ、嫁姑問題にしても、いじめにしても、表向きに「いじめている人」の心の傷を再認識できた気がします。
我が家の嫁姑問題、祖母が母に意地悪をして、そのためにうちの家族がしんどかった、そう思っていました。ですが、いまは、誰かが祖母の心の傷に寄り添うことができていても、また別の展開を見せていたかもしれない、と感じます。
生きていれば、色んな人や色んなできごとに出会うと思います。
その問題に、どっぷりと浸っているときはなかなか難しいですが、世の中で言われるいわゆる「斜め上」の対策を考えてみるのもよいのではないかと思います。
自分に意地悪をしてくる人がいたら、「自分」を「攻撃」されていると感じると思います。
でも、本当は、その人自身が抱える問題によって「他者」を攻撃していて、その矛先がたまたま「自分」に向けられただけ、ということが往々にあるのかもしれません。
それがよいと言う訳ではなく、ね。
うちの母と祖母の場合、母が「お義母さん、丑の刻参りするなら、わたし付き合いますよψ(`∇´)ψ?」と言っても、祖母の悲しみは軽くなったかもしれないなぁ、と思います。
わたしは、祖母が亡くなったとき、涙を流して悲しむ従妹を横目に、悲しいと思えない自分を悲しく思った記憶があります。
祖母が亡くなったとき、わたしは「あぁ、これで母の苦痛がなくなる」そう思いました。
自分自身が祖母に何かをされた訳ではなかったけれど、そう思ったのを覚えています。
そして、そう感じた自分が悲しかった。
このブログを書いたことで、祖母に対して前とは違う気持ちになれてよかったです。
悲しいこともあったと思うけど、祖母にとって、楽しいこともたくさんあった人生でありますように。
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